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Vol.103 – (上)犬課長、野生の王国珍入@ヤーラ珍道中膝栗毛

  皆様、こんにちは。   日本は大型台風の季節到来で、各地で大きな被害が出ていますが、お元気でお過ごしでしょうか。被災された地域の一刻も早い回復を願っております。   スリランカは、国内の新規コロナ感染者の落ち着きをうけ、経済活動もほぼ正常となり、市民は休日、祝日を利用して旅行に出かけるなど、リラックスできるようになりました。 TVでのコロナ関係の放送もすっかり減り、最近は国政選挙に大勝した与党(SLPP)による憲法改正や、国内の制度改革に焦点を当て放送されています。 しかし油断は禁物、諸外国では第二波、三波が起きている事、スリランカ人帰国者からは少なからずコロナ感染者がいる事を考えると、政府として空港での一般観光客受け入れには、慎重にならざる得ないところです。   さて今回は、8月末に南部高速ハンバントタ線の業務開始の確認と称し、ヤーラ国立公園に出かけ野生動物達の領域へ足を踏み入れた時のお話です。お楽しみください。   ●2020年8月27日(木曜)の夕食時8時半頃   ホテルの野外レストランにて夕食のコースメニューを頂いている時の事 灼熱の昼間とは違い、涼しい風が心地よい..アカシヤの下に二人用のテーブルをセットしてもらい、ちょうど前菜の後のクラブスープ(ちなみに妻はクリームスープを選択)を飲み終わった頃でした..海辺にあるホテル周辺に生い茂るブッシュと言われる低木は、月明かりで大小さまざまなシルエットを浮かび上がらせています。 ブッシュの先にもケロシンを使った篝火が灯っており、バトラーは度々野外レストランから料理や飲み物を持って出入りしている事から、近くの丘でパーティーやっているのか..丘の方から楽しそうな歌声が聞こえてきます。 「ここのホテル食事は美味しいね~しかもコースだけど毎日選べるメニューが変わって、一週間いても飽きないかもね」とワインを飲みながら心地よくメインの料理を待っていると..妻が不思議そうに眼だけ動かせて、そこを見て!というように無言で私の後ろ側を指さしています。 何だなんだと、さしている指の先をたどってみると..「ううっ!」声にもならないような唸り声をあげ唖然とした私..月明かりに浮かび上がるブッシュをバックに、高さ3メートル半はあろうかという巨大なゾウさんが15メートルほど先に!しかも私達の方にゆっくり向かって来ます。   ●私からはこんな感じに見えました。(あまりの驚きで、写真を撮る余裕はありませんでした😊)   直観的に危ない!と思う間もなく体が反応し、椅子から転げ落ちた私は、足元でくつろいでいた犬課長を連れて妻と逃げようとするのですが、とっさの事でテーブルから2メートルほど逃げるのがやっと..犬課長は私達の異変にやっと気付いたらしく、「ワンワン」吠え始めています..もうもうやばい!と思った瞬間、ゾウさんは突然方向を変え、駆け足で右側のブッシュへ消えていきました。 ウエーターさん達は慌てて助けに来てくれましたが、時すでに遅し!ゾウさんの影はなく、野外レストランで食事を楽しんでいた人達も、私達の尋常ならぬ状況を見て、何が起きたのか?とかなり騒然となっています..ゾウさんの逃げて行ったブッシュ側に集まって、まだ近くにいるのではと観察している人もいましたが、一瞬(私には一分以上に感じました)の出来事でしたので、ブッシュの方向からは、既に何事もなかったがごとく夜虫の声が聞こえてくるだけでした。 素早く逃げ、比較的冷静に状況を見ていた妻によれば、振り向きざま目の前へのゾウさん出現で、私はあまりにびっくりして一瞬腰が抜けたような状態になり、その騒々しさにびっくりした犬課長は、私に向かって吠えてたとの事😊..な~んだ、犬課長は私を守るためにゾウさんに吠えていたのではなかったのね~..な~るほど!たしか数年前家に泥棒が入った時も、寝室で大鼾をかいて寝ていて、翌日の警察の現場検証の時も、「犬は吠えなかったんですか?」と不思議がられた、「お墨付きのバカ犬」だったと改めて認識した次第です。(笑) 興奮冷めやらぬ私達は、ゾウさんの出現で余計お腹も空いたため、再びテーブルセッティングをしてもらい、メインコース(妻はビーフ料理、私は海鮮料理)、それぞれ好みのデザート等を頂きながら、その日はゾウさんと犬課長の話で盛り上がったのは、言うまでもありません。 レストランのマネージャーの話では、今回出現したゾウさんはホテル周辺のブッシュ帯に度々現れ、カバリエと命名されている大変危険なゾウである事、ホテルスタッフは、このカバリエに何度となく追い回されたり危害を加えられている事、またホテル周辺の一帯には計4頭の野生のゾウさんが生息しており、そのうちの一頭(ナッタコッタ)は、唯一おとなしい性格であるとの事でした。 食事も終わり、本館から離れにあるサファリキャンプへ帰ろうとすると、マネージャーさんがブッシュの中を歩いて帰るのは危険だという事で、カートを用意してくれました。 犬課長もいるので、恐縮しながらカートに乗り込み、サファリキャンプに戻りながら、「もし再び手前のブッシュからカバリエが出てきたらどうしよう」と、妻と話しながらコテージに着いてまたびっくり!ドライバーにチップを渡し、カートを降りるとホテルのレストランマネージャーさんと、フロントオフィスマネージャーさんがカートの後ろに立っているではありませんか..私達を心配してくれて、後から付いてきてくれたんですね~。 一息ついて、コテージのベランダから真っ暗なブッシュに見入ると、あまりの静かさに心臓の鼓動さえ聞こえてきます..今夜の夕食時に起こった事は本当だったのか?幻だったのか?..その答えはカートの後ろについて送ってくれたマネージャーさん達.. 美味しい食事を頂き、スリリングな体験までできた8月27日の夕食は、私達にとって一生の思い出となることでしょう。驚愕の体験とは、まさにこのことでしょう..😊   》Vol.103-(中巻)に続く     <弊社プロフィール> 安全に旅してこそ楽しい旅行、Srieko Holidaysはいつもお客様の安全を第一に考えて旅行のお手伝いをしています。   *インド洋を優雅に泳ぐシロナガスクジラ観察 *「ウミガメの産卵ツアー」大好評 *高原列車で紅茶畑&紅茶工場巡り大好評 *GTフィッシング 9月15日 山倉 義典

9月15日 首相、観光スポット整備を指示

スリランカ現地新聞報道によると、マヒンダ・ラジャパクサ首相は関係大臣へ、世界遺産を始めとする観光スポットの整備(道路及び環境整備を中心)を指示しました。
観光立国を目指すスリランカ政府は、海外一般観光客受け入れを始める(空港を正常業務に戻す)前に、各観光スポットの整備を行い、快適で安全に観光をしてもらおうと考えているようです。
気になるのは修復作業を行う資金と、いつ海外から一般旅行客入国を解禁するのかという事。...

Vol.102 – 2020年スリランカ、みんなみんなランカ流!(第二話)

  皆様、こんにちは。   日本は超大型台風のフェーン現象で、大変暑いと聞いておりますが、お元気にお過ごしでしょうか。コロナ第二波の蔓延も心配ですが、大型台風も十分気を付けてくださいね。   スリランカは、国内の新規コロナ感染者の落ち着きをうけ、経済活動もほぼ正常となり、市民は休日、祝日を利用して旅行に出かけるなど、リラックスできるようになりました。 しかし空港は、依然として一般旅行者、出張者への対応を停止しており、海外からのスリランカ人帰国希望者の受け入れを優先的に行っています。 今のところスリランカ人帰国希望者が多く、帰国者の中には少なからず感染者がいる事、また諸外国にて第二波、第三波が起きている事などから、政府は海外からの一般旅行者の受け入れ開始時期について、慎重に検討を続けていて、まだまだ開港には時間がかかりそうな状況です。   さて今回も、「みんなみんなスリランカ流!(第二話)」をお楽しみください。スリランカに滞在した事のある人は、なるほど!と思うこともあるのでは😊   ●絶対に「知らないとは言わない」スリランカの人々   私達は仕事柄、観光地やホテル等の視察のため、時間を見つけてはスリランカの各地に出かけています。 もちろん、二つの目よりは四つの目、四つも目よりは六つの目という事で、妻と犬課長もいつも同行していますが、いまだに文明の利器であるGPSを使わず、使い古した地図を片手に移動しているため、道に迷うことが度々あります。 スリランカの道は細く地図に載っていない道が多く、また似たような地名が多いため、一度道に迷ってしまうと、目的地に着くのは結構大変です。さらに大変なのは、道順は地元の人に聞け!というのが定石ですが、その辺の道行く紳士や学生に「この場所に行きたいのだけれど、どういったらよいのか」と尋ねると、聞く人聞く人の言う事が違っていて、なかなか目的地へ着けない事がよくあります。 ある人に聞いた道順通りに来たつもりが全然別の場所??...不安になり、辺りの他の人に聞くと、今度は逆方向を指さし「後ろの方向にXX㎞程だよ」なんて言われると、気がめいってしまいます。 決して悪気があるわけではないと思うのですが、分からない時は、「知らない」とはっきり言ってもらえれば、こちらも「あっそうですか、有難うございました」と他の人に聞くというものなのですが、スリランカ人の優しさなのか、はたまた他の理由なのか...はっきり「知らない」とは言わないところが、この国の今一つの所なのかもしれません。良く言えばスリランカ流なのでしょうが😊.. ところで、目的地がなかなか見つからず、GPSも無く、完全に迷子になって困った時、皆さんはどうします? 私の場合、町にある薬局に駆け込みます..「ええっ~道に迷って何故薬局なの?」と思われる方はいらっしゃると思いますが、別に心労がたたって体調が悪くなったからではありません。 まず薬局の人は薬剤師という仕事柄、薬の名前など英語に触れる機会が多く、現地語(シンハラ語)を全く話せない私でも、会話がスムーズに進む可能性があります。 また一つに、スリランカには緩いカースト制が残っているため、薬局の子供は薬剤師の場合が多く、古くからその地で薬局をやっていると思われ、周辺の地理に詳しいかもしれないということです。ここまで行くのに8年かかりましたが... いままでの話は道に迷った時の話ですが、他にもいろいろな場面でスリランカの人々は、自信満々で「もっともらしく」教えてくれます。そして私達も私達で疑いながらも、ついつい信じてしまって、懲りないと言えばそれまでですが、度々痛い目に会ってしまうという寅さんも真っ青のワンパターン!なのです。 世界的にみれば「知らない」と言う親切心もあるんですがね~..慈悲の心に満ちたスリランカの人々には、多分一生理解できない事なのかもしれませんね。   ●ランカ流砥石(といし)の類   先日NHKにて日本の「刀の文化」を特集していました。 気難しそうな刀職人が、真っ赤に焼けた鉄の塊を、時間をかけながら何度も何度も打ちながら、刀の形に仕上げていく..そして荒砥、中砥と進み最後に、鏡のような滑らかな砥石で刀に魂を入れていく光景を見た方もいらっしゃると思います。 尺八の音響効果も抜群で、刀の事は全く分かっていない私ですら、「これぞ匠の中の匠、実に美しい日本の芸術!」といたく感動したものです。 ここスリランカでも刀とまではいかないですが、刀と包丁の中間のような短剣があります。 この短剣、長さは50センチ程で反っており、スリランカの人々は主に、椰子のカット、枝打ち、お肉や大きな魚の解体、などによく使っているようですが、切れ味抜群の逸品です。 感情的なもつれから、この短剣で刃傷沙汰が起きた等の事件報道を、新聞でたまに見ますので、人の殺傷能力も相当なものだと考えられます。 という事で、どんな方法で砥いでいるのか興味津々、NHKの匠の世界まではいかないまでも、さぞかし丁寧に砥ぎを入れているのではと期待し、魚市場で観察した事があります。   夕方4時、その日獲れた大きな魚が魚市場にごろごろ並んでいます..ここスリランカでは、大きなお魚を市場で買って、市場の横にいるオジサンに、適当な大きさに解体してもらうスタイルです。.. オジサンは顧客の要望に応じ、例の短剣で二尺はありそうな大きなお魚を素早くさばいていきます。..短剣の切れ味は抜群ですので、大きな魚も小鯵をさばくがごとく簡単にバッサバッサとこなしていきます。 見とれていると、オジサンは、定期的に短剣を地面コンクリートに擦り付けて、短剣に付いた物を取っているようです..魚の油でも取っているのかな!?..コンクリートの地面には魚の内臓が散らばりかなり不衛生!..汚いな~お魚を買ってもオジサンに解体は頼めないな~と独り言ちしながら観察を続けたのですが、結局その日は短剣砥ぎの奥義を見ることは叶いませんでした。 ところが数日たったある日の朝、ついにその日はやって来ました。 犬課長を車に乗せビーチにお散歩に行く途中、ビーチ近くの橋の袂にある肉屋のオジサンが、例の短剣(包丁?)を砥いでいる場面に邂逅しました。 助手席にいた妻が、100メートル程先にいる、上半身裸(下半身サロン)のオジサンを見つけ、「オジサン、橋の上で何やってんだろう」というので、魚釣りでもしているのかなと、ゆっくり近づくと、橋の欄干の手すり(コンクリート製)を砥石代わりに、刃渡り50センチはあろうかという立派な短剣(包丁?)を、慣れた手付きで砥いでいます..更に欄干をよく見ると、手すりは度々砥石代わりに使われいるらしく、変形してるか所も数か所..そういえば市場のお魚屋さんも、コンクリートの地面に擦り付けていたな~と妙に納得。 周りにあるコンクリートを砥石代わりにするランカ流!知り合いによれば、アスファルトバージョンもあるとの事.. どんなに探しても、スリランカには砥石が売っていない訳ですね。😊     ●業者は手ぶらでやってくる   「バカヤロー、二度と来るな!」「君、我が家に何しに来たの!」と怒鳴る事数知れず..業者を頼む毎にイライラさせられるスリランカ、きっと私だけではないと信じているのですが、他の方々は如何でしょうか。 というのも、約束の時間通りに来ないのは、まあ南アジアなので仕方ないにしても、なぜ大事な仕事道具を忘れてくるのか?持ってこないのか?とにかくここでは信じられない事が起こります。 例えば、雨漏り(今までスリランカ国内で3回引っ越しをして、前の3軒は百発百中!今住んでいる家は、幸運にも今のところ雨漏りはありません)があると直ぐに大家に連絡し、業者を呼んでもらうのですが、この業者がまたいい加減..来る来ると言いながらなかなか来ない、やっと来たと思っても、屋根を直すのに梯子も持ってこない..皆さん信じられますか?屋根を直す業者が梯子を持ってこないんですよ..更に水道管が詰まったときには、スパナを持ってこない配管屋..電気系統に問題があって呼んだ業者は、テスター、ドライバーなどを忘れてくる電気屋などなど...こんな業者ばっかり..こういう奴らに限って、口だけ達者で修理に時間だけかかり、結局治らない! このようにスリランカでは業者とアポを取っても、本当に来るのかどうかを先ず心配し、たとえ来たとしても、仕事道具を持ってくるかどうかを心配し、最後に本当に治っているか?さらに壊されていないか?を心配しなければなりませんので、一つの事をやるのにも、三倍も四倍もエネルギーが必要というわけです。.. 首都圏のプール・ジム付きの豪華コンドミニアム住み、何不自由なく生活していた駐在員時代とは打って変わって、一軒家に住むというのは、犬と一緒にのんびり生活が出来る反面、それなりに苦労もそこそこあるという事です。 ちなみに、シンガポール、マレーシアなど東南アジア四か国に駐在していた時は、アポから遅れても半日ほどでしたが、ここ南アジアのスリランカは、一日、二日単位で動いているんですかね~まあ大河のように時間が流れている国なので、ランカ流!?と思えば、仕方ありませんかね。😊    

Vol.101 – 2020年スリランカ、みんなみんなランカ流!(第一話)

  皆様、こんにちは。   そろそろ日本はお盆、コロナの自粛ばかりではつまらないという方は、お盆休みを利用して帰省、旅行に出かけられている方も多くいらっしゃると思いますが、皆様お元気にお過ごしでしょうか。   スリランカは8月の国政選挙も終わり、コロナ・パンデミックも他国に比べ比較的落ち着いていることから、8月10日より学校関係が一斉に始まりました。 子供を大切にするスリランカでは、学校が始まるかどうかが安全かどうかの一つの目安になり、今回の学校再開をもって、一先ず安全だと判断してよいでしょう。 あとは空港の一般再開がいつになるのか?今もスリランカ人の帰国希望者が多く、毎日のように数百人が特別便で帰国し、帰国した者の中には感染者が少なからずいるため、政府の施設やホテルで厳重な隔離対策(2週間隔離+2週間自主隔離の計4週間)が行われていることから、今後旅行者の安全確保にはまだまだ時間がかかりそうな状態です。 政府はコロナの状況を見ながら、間もなく空港の一般再開を行うと思いますが、状況によっては9月まで延期される可能性もあります。   さて今回は、記念すべき創刊100号の後の第一歩という事で、10年近くスリランカに住んで、これは!という話題を集めてみました。スリランカに長く居ないと、なかなか分からない事や常識を私の独断と偏見で選んでみました。   ●血統の良さそうな犬君を見ると話しかけてきて…   仏教国スリランカには、いたる所に野良犬君がいるんです。旅行に来られた方は、専用車で目的地から目的地までダイレクトで移動する人が多いので、野良犬君の多さに気付かない方もいらっしゃると思いますが、仏教の大事な教えである「生きとし生けるものは、全て幸せであれ」という教えが国民に浸透しており、スリランカの人々は野良犬君といえども、慈愛合いの心で接しており、毎日誰かしらがご飯を上げるため、犬君たちは野良犬風情ではあるものの、一様に毛並みもそこそこ、人懐こく旅行者に付いて一緒にお散歩するチャッカリした犬君も多いのです。 さらに、多くの家で番犬やペットとして自分の犬君を飼っているのですから、スリランカ人の犬君好きは相当なもの...中でも、血統の良さそうな犬君は特に大好きで、約10年前にラブラドールレトリバーとして生まれた犬課長も例外ではありません。 私達は空港近くのリゾート地ニゴンボに住んでいて、犬課長の小さなころからビーチへお散歩に行っていますが、ビーチをお散歩している時や、犬課長とひと泳ぎした後ホテルのプールサイドでくつろいでいる時に、必ずといってよいほどスリランカ人が声をかけてきて、静かなひと時を中断されてしまいます。 「毛並みの良い綺麗な犬ですね」「噛みませんか、触ってもいいですか」「一緒に写真を撮っていいですか」「名前は、歳はいくつですか」「何を食べさせているのですか」「プレグナントですか(犬課長は太っちょなのです)」と声をかけてくるのです...最近は少なくなりましたが、数年前までは必ずと言って良いほど最後に「いくらで買いました?」とニコニコしながら平気で聞いてきたものです。 最初の頃は、初めて会った人に「いくら?」とは、こいつらどういう神経してるんだ!とムッとしましたが...聞いてきた意図は単なる好奇心なのでしょうかね~「そんな事あなたに関係ないでしょ、余計なお世話です」とはっきり言いたいところを我慢して、「友達から頂いたので、分かりません」とにこやかに度々返答したことを思い出します。 しかしスリランカでの10年を振り返り、スリランカ人の犬君好きを考えると、丁度あの頃は、経済的な余裕が少し出てきた時期で、彼らも血統の良い犬君を飼いたいと思い始めた頃なのかなと思ったりもします。 そういえば最近はビーチで毛並みの良い、大きな犬君を連れたスリランカ人も見かけるようになりましたし、10年という月日は、そういういろいろな事が見えてくるものなのかもしれませんンね。😊   ●ランカ流レジ袋の使い方   スーパーなどでお買い物をすると、店員さんが買ったものをレジ袋に入れて渡してくれますよね~~お買い物に手ぶらで行けて、家に帰って買ってきた物を出すと、今度はゴミ袋に使えるという大変便利な袋ですが、買い物回数が多いと結構溜まるもの...我が家では、余ったレジ袋を車のドアポケットに数枚入れておき、車内のごみ袋、露天商や魚市場などでのお買い物袋として使っています。 私達は当たり前のように、袋は袋として使っているのですが、数年前にスリランカの人がランカ流?と呼んだら良いのでしょうかね~ちょっとユニークな使い方をしている人に出くわしたのでした。 当日は買い物とお散歩でニゴンボの街に出かけました。買い物を済ませ外に出ると空が真っ暗になりっていて間もなく熱帯特有の激しいスコールが来ました。私達は幸運にも雨の降る前に、車に乗り込むことが出来たのですが、前も見えないような激しい雨、小降りになるまで待とうということでスーパーの駐車場で待つ事にしました。 後部座席で、早くお散歩に連れて行けとグズる犬課長をなだめながら約20分、小降りになって来たので、散歩予定のビーチに移動しようと、ニゴンボ市内の時計台の前を運転していると、前方に小雨のなかサロンを巻いたオヤジが、自転車に乗って前をフラフラ運転しています...頭には何やら白いスイミングキャップのような物をかぶっています。 この手のオヤジは経験上、突然転んだりするので注意が必要!徐行しながら安全にオヤジをパスしたと思った瞬間、助手席の妻が「あっ!」と大声を上げるではありませんか...オヤジを轢いてしまったかと焦った私は、ブレーキをかけ「どうした、どうした?」と妻に確認すると...「かぶってる」と車の横を通り過ぎるオヤジを指さし言うではありませんか。 そうなんです、よく見るとその白いスイミングキャップのような物は、レジ袋! 車内に張り詰めていた緊張感がとけ、一瞬間をおいた後一同大笑いとなりました。「いや~こういう使い方が有るんだね」といやに納得した私、「あれはどういう風にかぶってるんだろう」と興味津々の妻、なんか分からないけれど早くお散歩したい犬課長、それぞれ一応に納得しながらビーチに到着したのですが、残念ながらまだ小雨が降っています。 どうしてもお散歩がしたいという犬課長に、妻はニコニコしながら「大丈夫!」と言って、小雨の降る中、車の外に出ていきました。 つられて私も外に出てみると、妻と犬課長の頭には白いスイミングキャップが...😊       ●ランカ流友達、知り合いの類   スリランカ人との会話で、会議であれ、商談であれ、よもやま話であれ、いたる所で話の流れに関わらず、「XX大臣とは古くからの友人」「XX長官は私の親族」などと言う人と会った事が有る方は、多くいらっしゃるのではないかと思います。 普通大臣、長官..のような結構な人と友達、知り合いなどと言う人は、そうそういないと思われますし、そもそも友達や知り合いであっても、簡単に人には言わないのが一般常識というものですが、しかしここスリランカでは、初めて会った人に自己紹介をするがごとく「XX大臣とは古くからの友人」「XX長官は私の親族」といった、物騒な会話を度々耳にします。 本人としては、私はその手の有力者と人脈があり、社会的に信用のおける人間だと言いたいのでしょうが、余りにもこの手の話をする人が多いため、私的には興味が無くまた退屈であり、最近はこの手の話が出る度に、話題を変えるように心がけるようになりました。 もちろん私も、スリランカに来たばかりで会社を興した10年前は、この手の話を聞いて、「そうか、その人脈を利用できれば、何でもできるかもしれない」と淡い期待をいだき、ウカウカしたものですが、毎度毎度、もれなく期待を裏切られてきましたので、次第に時間とお金の無駄に気付き、この手の人々との距離を置くのが得策と心得るようになりました。 それでは、なぜこのようにスリランカの人々は、このような物騒な話を簡単にしてしまうのでしょうか? 普通でしたら、自己のセキュリティー上危険があるとか、相手の大臣、長官に余計な迷惑がかるかもしれないと考えられそうなものですが、そこには多分に、スリランカ人と私達日本人の友達、知り合いに対する定義に大きなギャップが存在すると感じています。...早い話が、友達、知り合い、というものにスリランカ流が存在するという事なのです。 私の勝手な解釈かもしれませんが、日本人の標準的な人は、「知り合い」と言ったら、お互いに面識があり顔と名前が一致する人だと思いますし、「友達」ともなれば、価値観をある共有し一緒に遊びに行けるような仲、更に「親友」となれば、一生に数人出来ればよい方だと思っています。 しかしここスリランカでは、「知り合い」と言えば、友達の友達の友達程度の会った事も無い人まで、「知り合いに」なってしまいますので厄介です。騙すつもりは無いにしても、「友達」「親友」となればなお厄介!決して淡い期待などせず、むしろ注意をした方が無難かと思います。 また、スリランカ人と仕事を進めていると、余りにも現実と、聞いている事とのギャップが大きく、しばしば翻弄される事がよく有ります。騙すつもりはないのでしょうが、事が進まず結果が出ない以上..ましてやお金が絡んでいる場合などは、結果的に騙したことになるという事を、彼らは分かっているのか、分かってないのか...この辺も微妙ですので要注意です。 特に日本語を流ちょうに話し、「XX大臣は私のマブダチ」、「一緒にビジネスをしましょう」などと甘い言葉で誘ってきた日には、「そうだ山倉は、ランカ流で何かブツブツ言っていたな」と思い出してください...皆様もご存じの通り「綺麗なバラには棘だらけ」って事です。 それでも、私だけは大丈夫と言う方は、仕方がありません「毒を食らわば..」という名言もございます。思う存分ランカ流をご堪能ください!😊     <弊社プロフィール> 安全に旅してこそ楽しい旅行、Srieko Holidaysはいつもお客様の安全を第一に考えて旅行のお手伝いをしています。  

8月7日 2020年スリランカ・国政選挙結果

スリランカの国会議員(1院制、225議席)を決める国政選挙が8月5日に行われました。

翌日6日に開票が行われ、昨年11月に大統領に就任したゴタバヤ・ラジャパクサ氏のスリランカ人民戦線(SLPP)が全議席の三分の二に迫る145議席を獲得しました。

SLPPの党首は、大統領のゴタバヤ・ラジャパクサ氏の兄のマヒンダ・ラジャパクサ氏で、今後手続きを経て首相に就任の予定。

7月27日 2020年キャンディ・ペラヘラ祭り(7月25日~8月4日昼)

今年も7月25日から8月4日まで古都キャンディにてスリランカ最大のお祭りペラヘラ祭り(仏陀の歯を乗せたゾウさん達が街中を練り歩く雨乞い祭り)が開催されています。

いるもなら、ゾウさん達が練り歩く沿道には外国からの観光客、ローカル見物客が押し寄せ、熱気むんむん大変な盛り上がりとなるのですが、今年はコロナ・パンデミックの為、沿道からの見物は禁止!見物客もパラパラといったいった感じです。...

7月18日 学校閉鎖延長(開始8月10日、一部7月27日から)

スリランカ教育省は、Kandakadu Treatment and Rehabilitation Center(ドラッグ関係の治療更生施設)クラスター関係で国内感染が拡大している事態を受け、7月18日土曜日に、7月12日より行っている全国の学校閉鎖を8月10日まで延長すると発表しました。...

7月12日 コロナ第2波、全国の学校を閉鎖(7月13日~17日)

スリランカ教育省は12日、直近で発生したコロナ第2波の感染防止のため全国の学校を7月13日~7月17日の間閉鎖すると発表しました。

このコロナ第2波は、7月7日スリランカ北東部に位置する、Kandakadu Treatment and Rehabilitation Center(ドラッグ関係の治療更生施設)から、Welikada Prison(コロンボ市内の刑務所)に運ばれた囚人の中から...

Vol.100-後編 ジェームス・テーラーとトーマス・リプトンの紅茶

  👉 Vol.100-前編からつづく   ●お次はトーマス・リプトン   紅茶の話で、トーマス・リプトンと言えば、気付いた方もいらっしゃると思いますが、そうなんです、あのリプトン紅茶のリプトンさんのお話です。   1850年スコットランド・グラスゴー生まれのリプトンさん、一代で紅茶王と呼ばれるまでになりましたが、19世紀の紅茶史に華麗なサクセスストーリーを刻んでいます。 ご両親はアイルランドの農民で、1840年ころに起きた大飢饉でスコットランドに逃げ延びてきた難民だったそうです。ご両親は難民先で卵、バター、ハムなどを売る小さな食材店を営み、リプトンさんも小さい頃から店を手伝って、その頃から既に商才を発揮していたそうです。 彼の商才はオリジナリティーのあるユーモアのセンスにあふれ、大衆の心をつかんで楽しく買い物をしてもらう、現代にも通じる商売の原点!現代に生きていても、相当なサクセスストーリーを刻んでいるのではないかと思います。 15歳にしてアメリカに渡り、タバコ園の農夫を皮切りに次々と仕事を変え、やがて一番やりたかった百貨店の食品売り場に就職、商品の仕入れから、販売、接客、宣伝と商売の方法を学び、19歳になるとリプトンさんは、突如仕事を捨てご両親の待つグラスゴーにもどります。そして21歳にアイルランド食品を扱う自分のお店を開くんですね。 アメリカで学んだ商売の方法と、彼の天賦の商才が加わり、お店は大繁盛!開店から10年後リプトンさん31歳の頃には20店舗、従業員800人と大成功をおさめていました。   ●紅茶商への道 リプトンさんの店が繁盛していた頃は、折しもセイロン紅茶の生産が始まった時期と重なります。 イギリスで紅茶の消費量が増加の一途をたどっていた時期で、商人が紅茶を売る工夫などしていない事に目を付けたリプトンさんは、早速、紅茶を前もって小分け袋詰めにし、量り売りの手間と時間を省き、お客さんが来たらすぐに手渡しできるようにします.. 袋入りの紅茶は宣伝にも役立ち、茶葉の品質やリプトンのロゴを入れることにより、店の名前やイメージ、信用などを定着させるのに役立ちました。 また、リプトンさんは紅茶の価格にも目を付けます。 「商品は直接生産者から買いなさい」とお母様からの教訓を受けていた彼は、日常に大量に飲むものとしては、まだまだ紅茶の値段は高いと感じ、仲介人を通さず少しでも安い紅茶を仕入れられるような流通経路を探し出し、薄利多売は見事に成功!一気に取扱量が増え、これを機に本格的な紅茶商の道が開かれたのでした。 更に、紅茶の味は水質(硬水、軟水)によって変わるため、いろいろな種類の茶葉をブレンドすることによって、その土地に一番合う紅茶を販売し始めたのです。 例えば硬水に合うロンドンブレンド、軟水に合うスコットランドブレンドなどが生まれ、「紅茶を飲んだ時に故郷を感じる」と、リプトンのブランド・イメージは紅茶愛好家の間で大きく広がっていきました。     ●そして紅茶王への道 そして遂にリプトンさん、1890年に母上の教訓を実行すべくセイロン島に乗り込みます。 最初は、紅茶の栽培地を調査する旅でしたが、途中茶園が売り出されて農園主を募集している事を知り、農園の状態を見ると状態は想像以上に良好!リプトンさんは今後のロンドン紅茶市場の拡大を見据え、ここで紅茶を栽培、製造してリプトンブランドで販売すれば、安くて良質な紅茶を世界中の人々へ供給できると、回転の良い頭で考えたことは想像に難くありません。 「よ~し買った!」といったかどうか分かりませんが、当時のお金で十万ポンド以上をポンと気前よく支払い、スリランカ南東部山岳地帯のウバ地方に広がるダンバテン、レイモントット、モーネラカンデ茶園を含む千二百ヘクタールもの茶園を手に入れたのでした。 私も近くまで行った事が有りますが、周辺は一面のお茶畑、特にリプトンさんが直接経営に乗り出したダンバテン紅茶園には、リプトンシートという美しく風光明媚な名所があり、ここから渓谷に広がる広大な紅茶園を眺めながら、次々と経営の妙案を実行していったと思うと、彼の行動力にはただただ頭が下がるばかり..紅茶好きの私としては、リプトンさんに足を向けて寝られないというものです。 急斜面にロープウエー作って、摘んだばかりの茶葉を安全に早く大量に運ぶ運搬改革を行い、製茶工場の機械も最新のものを入れ生産効率を上げたことにより、どこよりも衛生的で良質な茶が大量に安価で生産されるようになりました そして翌年、こうした努力の結果ダンバテン茶園の紅茶葉は、ロンドン紅茶市場にて史上最高値を付け、それはリプトン紅茶の信頼の証となったのです。     ●「名言」迷言? そしてリプトンさんは素晴らしい「名言」を残しています。 「紅茶園から直接ティーポットへ」、まさしくお母様からの「商品は直接生産者から買いなさい」という教訓を守り、更に自身の茶園を持ち紅茶の生産まで発展させる溢れ出るパワーに感服です。紅茶園からティーポットまで独自の流通経路を作り上げたリプトンさんは感無量だった事でしょう。 また、リプトンさんは素晴らしい「名言」迷言?も残しています。 生涯独身を通したリプトンさんに、ある人が結婚しない理由を尋ねた時、「紅茶の値段が、妻を養うにはあまりにも安すぎるから」と答えたそうです。 紅茶で大富豪になったリプトンさんの、あまりにもユーモアあふれるこの回答、良質のものをより早く、より安く提供したいという彼の商売に対するにじみ出る信念を感じます。 そうなんです、21世紀にも通じるリプトンさんの信念、「美味い」「早い」「安い」は、今も吉野家をはじめとするファーストフードにも受け継がれているんですね。   いや~本当に素晴らしい事だと思います!こんなことを書いていたら、吉野家の牛丼が食べたくなってきましたが、残念ながらスリランカに吉野家はなし..残念!😊     安全に旅してこそ楽しい旅行、Srieko Holidaysはいつもお客様の安全を第一に考えて旅行のお手伝いをしています。   *インド洋を優雅に泳ぐシロナガスクジラ観察 *「ウミガメの産卵ツアー」大好評 *高原列車で紅茶畑&紅茶工場巡り大好評 *GTフィッシング   7月10日 山倉 義典  

Vol.100-前編 ジェームス・テーラーとトーマス・リプトンの紅茶

  皆様、こんにちは。   コロナ・パンデミックにより、世界中が混乱して経済活動に大きな影響が出ておりますが、皆様お元気にお過ごしでしょうか。   スリランカは、3月20日から続いていた外出禁止令が6月下旬に完全解除され、経済再開と8月1日より旅行者受け入れ開始、8月5日の国政選挙に向け徐々に動き始めています。 ただし今も、スリランカ人帰国希望者が多く、6月7月とチャーター便にて帰国した者の中には感染者が少なからずいるため、政府の施設やホテルで厳重な隔離対策(2週間隔離+2週間自主隔離の計4週間)が行われていることから、今後旅行者の安全確保にはまだまだ時間がかかりそうな状態、8月1日受け入れ開始は、9月まで延期される可能性が大きくなっています。   さて今回は、記念すべき創刊100号という事で、話題は何にしようかと考えたところ、コロナで外出は必要時以外出来るだけ控え、家にいる時間が多くなっている昨今のご時世...きっとご自宅で紅茶を楽しまれている方も多いだろうと勝手に思い、セイロン紅茶のお話を!   ●ジェームス・テーラー   ジェームス・テーラーと言えば、スリランカ好きの皆さんはともかく、「誰、その人?」と思われる方は多いのではないかと思います。実は私もそうで、せいぜいスリランカで紅茶を作り始めた人くらいの印象だったのですが、調べてみるとなかなか頑張った人物なのです。 簡単に略歴を追えば、1835年スコットランドの北部の小さな村に生まれ、父は車大工、母は彼が9歳の時に亡くなり、6人兄弟は新しい母を迎えました。 幼いころから頭が良く14歳にして既に学校の補助教員として教えて給料をもらっていたという秀才、さぞかし将来を嘱望された少年時代だったのでしょう。 ところが、何を思ったかテーラーさん、1852年の17歳の時、突然従兄弟の誘いに乗り他のスコットランド人十数名とセイロン島に渡ります。そして当時は高原地帯でコーヒー栽培全盛期のコーヒー農園で働き始めるわけです。 このテーラーさん、植物栽培にも才能が有ったらしく、テーラーさんにかかればコーヒーの苗も瞬く間に成長したとの事、農園主はテーラーさんを雇って本当に良かったと思っていたんでしょうね~~しかし、仕事というのは「一寸先は闇」と申しましょうか、1867年、テラーさん32歳の時、コーヒー園に錆病が蔓延して他の農園同様にコーヒー園は全滅状態となります。 手塩にかけたコーヒー園の枯れはてた光景を見たテーラーさんは、何を思った事でしょう。15年間丹精込めて育ててきたコーヒー畑を失った失望感は、計り知れないものだったのでは。..     ●身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ しかしここであきらめないのが凡人と違うところ!逆境にもめげず今度はお茶の栽培を始めます。植物栽培には自信がったんでしょうね! 当時キャンディ郊外のペラデニア植物園では、インドのアッサム地方からのお茶の木が栽培されており、そこから農園主のつてで苗木を手に入れたとの説と、インドアッサム地方から直接苗を手に入れたという説の二説ありますが、いずれにしても、農園主の依頼でキャンディ東部のルーラ・コンデラという山岳地帯を開墾しながら、当時セイロン島ではまだ大規模な栽培方法が確立されていなかったお茶のプランテーションに取り組んだのです。 ブルドーザーなど勿論ありません、今のようにガガガーと一気に整地できれば楽なんでしょうが、当時はそうはいきません。ゾウさんと人手を使って、土を掘り起こすことから始めたわけですから、さぞかしご苦労な事だったと思います。 苦労のかいあり間もなく、テーラーさんの開墾した農園にはお茶の苗木が根付き、茶園は一面に広がっていきました。 更にこのテーラーさん、茶の栽培だけでは飽き足らず、紅茶も製造してしまえ!という事で、インド・ダージリンで紅茶の製法を学びます。 紅茶の味わいを決めるのは、茶葉の質(どの葉を摘むか)と発酵を促す揉捻(どのように茶葉を揉むか)と言われており、当時英国で好まれていた濃厚で味も香りが強く、色の濃い発酵の強い紅茶をバランスよく効率的に製造するにはどうしたらよいか、テーラーさんは独自の経験と工夫を凝らし様々な実験と改良を重ねたのでした。 こうして完成したテーラーさんの紅茶は、良質で美味しいと評判を得て、ロンドン市場で中国からの紅茶、アッサム地方の紅茶と並んで、めでたく高値で取引されることとなったのです。   ●ちょっと変わり者 セイロン紅茶造りに、四半世紀を捧げたこのテーラーさん、身長180センチ、体重100キロの巨漢だったようです。小柄なスリランカ人の中では、当時ガリバーのような大きな人で、人柄は大らか、紅茶の栽培と製造をしながら地元の人と親密に和気あいあいと生活をしていたんだろうな~と勝手に思い込んでいましたが、実はちょっと変わり者だったようです。 セイロン島に来てからは一度も母国スコットランドに帰らず、セイロン在住のスコットランド人の会合には一度として参加したことはなく、はたまたセイロン農園主からのセイロン紅茶への功労賞授与パーティーですら断っています。 人と会い、話をして過ごすのが苦手だったのでしょうかね~ただただ、静かにルーラ・コンデラの茶園の小屋に住み続け、一生独身を通し、1892年52歳でその生涯を閉じています。   考えてみれば、テーラーさんにとって紅茶園を開墾したルーラ・コンデラが父母であり、見渡す限りの紅茶園が妻であり、そして出来上がった良質で美味しい紅茶が娘だったのかもしれませんね。   いや、今スリランカで一杯の紅茶を飲んでいると、テーラーさんが近くで「どうだい、俺の造った紅茶は?」と話しかけてくるようです。本当に美味しんです!     Vol.100-後編のトーマス・リプトンへ続く 👉     安全に旅してこそ楽しい旅行、Srieko Holidaysはいつもお客様の安全を第一に考えて旅行のお手伝いをしています。   *インド洋を優雅に泳ぐシロナガスクジラ観察 *「ウミガメの産卵ツアー」大好評 *高原列車で紅茶畑&紅茶工場巡り大好評 *GTフィッシング   7月10日 山倉 義典

7月8日 ミンネリヤ国立公園にゾウの双子の赤ちゃん🐘

最近、この国立公園に新しい小さな命が生まれました。それも大変珍しい双子ちゃん😊

今年はコロナのため観光客はほとんどいませんが、その分この赤ちゃんたち人目を気にせずお母さんに甘え放題のようです。
ゾウさん生まれたばかりの赤ちゃんは、自分のお鼻が何か分からず、お鼻をブラブラさせて色々なものに触りながら遊び周り、時間と伴に自分のお鼻だと分かってくるのです。カワイイっすね!...

6月28日 次々と国内規制緩和@スリランカ 大丈夫か!?

●6月28日 スリランカ大統領府から,本28日から夜間外出禁止令を解除する旨の発表がありました。 これにより,3月20日から発出されていた外出禁止令が全土で完全解除されることになります。

●また既に発表済みですが、明日6月29日より7月下旬にかけて学校が段階的に始まります。

これにより、スリランカ国内は経済的に通常の状態に近づく事になります。

*今のところ政府発表では、一般の旅行者の受け入れ開始は...

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