Vol.100-後編 ジェームス・テーラーとトーマス・リプトンの紅茶
👉 Vol.100-前編からつづく
●お次はトーマス・リプトン
紅茶の話で、トーマス・リプトンと言えば、気付いた方もいらっしゃると思いますが、そうなんです、あのリプトン紅茶のリプトンさんのお話です。
1850年スコットランド・グラスゴー生まれのリプトンさん、一代で紅茶王と呼ばれるまでになりましたが、19世紀の紅茶史に華麗なサクセスストーリーを刻んでいます。
ご両親はアイルランドの農民で、1840年ころに起きた大飢饉でスコットランドに逃げ延びてきた難民だったそうです。ご両親は難民先で卵、バター、ハムなどを売る小さな食材店を営み、リプトンさんも小さい頃から店を手伝って、その頃から既に商才を発揮していたそうです。
彼の商才はオリジナリティーのあるユーモアのセンスにあふれ、大衆の心をつかんで楽しく買い物をしてもらう、現代にも通じる商売の原点!現代に生きていても、相当なサクセスストーリーを刻んでいるのではないかと思います。
15歳にしてアメリカに渡り、タバコ園の農夫を皮切りに次々と仕事を変え、やがて一番やりたかった百貨店の食品売り場に就職、商品の仕入れから、販売、接客、宣伝と商売の方法を学び、19歳になるとリプトンさんは、突如仕事を捨てご両親の待つグラスゴーにもどります。そして21歳にアイルランド食品を扱う自分のお店を開くんですね。
アメリカで学んだ商売の方法と、彼の天賦の商才が加わり、お店は大繁盛!開店から10年後リプトンさん31歳の頃には20店舗、従業員800人と大成功をおさめていました。
●紅茶商への道
リプトンさんの店が繁盛していた頃は、折しもセイロン紅茶の生産が始まった時期と重なります。
イギリスで紅茶の消費量が増加の一途をたどっていた時期で、商人が紅茶を売る工夫などしていない事に目を付けたリプトンさんは、早速、紅茶を前もって小分け袋詰めにし、量り売りの手間と時間を省き、お客さんが来たらすぐに手渡しできるようにします..
袋入りの紅茶は宣伝にも役立ち、茶葉の品質やリプトンのロゴを入れることにより、店の名前やイメージ、信用などを定着させるのに役立ちました。
また、リプトンさんは紅茶の価格にも目を付けます。
「商品は直接生産者から買いなさい」とお母様からの教訓を受けていた彼は、日常に大量に飲むものとしては、まだまだ紅茶の値段は高いと感じ、仲介人を通さず少しでも安い紅茶を仕入れられるような流通経路を探し出し、薄利多売は見事に成功!一気に取扱量が増え、これを機に本格的な紅茶商の道が開かれたのでした。
更に、紅茶の味は水質(硬水、軟水)によって変わるため、いろいろな種類の茶葉をブレンドすることによって、その土地に一番合う紅茶を販売し始めたのです。
例えば硬水に合うロンドンブレンド、軟水に合うスコットランドブレンドなどが生まれ、「紅茶を飲んだ時に故郷を感じる」と、リプトンのブランド・イメージは紅茶愛好家の間で大きく広がっていきました。
●そして紅茶王への道
そして遂にリプトンさん、1890年に母上の教訓を実行すべくセイロン島に乗り込みます。
最初は、紅茶の栽培地を調査する旅でしたが、途中茶園が売り出されて農園主を募集している事を知り、農園の状態を見ると状態は想像以上に良好!リプトンさんは今後のロンドン紅茶市場の拡大を見据え、ここで紅茶を栽培、製造してリプトンブランドで販売すれば、安くて良質な紅茶を世界中の人々へ供給できると、回転の良い頭で考えたことは想像に難くありません。
「よ~し買った!」といったかどうか分かりませんが、当時のお金で十万ポンド以上をポンと気前よく支払い、スリランカ南東部山岳地帯のウバ地方に広がるダンバテン、レイモントット、モーネラカンデ茶園を含む千二百ヘクタールもの茶園を手に入れたのでした。
私も近くまで行った事が有りますが、周辺は一面のお茶畑、特にリプトンさんが直接経営に乗り出したダンバテン紅茶園には、リプトンシートという美しく風光明媚な名所があり、ここから渓谷に広がる広大な紅茶園を眺めながら、次々と経営の妙案を実行していったと思うと、彼の行動力にはただただ頭が下がるばかり..紅茶好きの私としては、リプトンさんに足を向けて寝られないというものです。
急斜面にロープウエー作って、摘んだばかりの茶葉を安全に早く大量に運ぶ運搬改革を行い、製茶工場の機械も最新のものを入れ生産効率を上げたことにより、どこよりも衛生的で良質な茶が大量に安価で生産されるようになりました
そして翌年、こうした努力の結果ダンバテン茶園の紅茶葉は、ロンドン紅茶市場にて史上最高値を付け、それはリプトン紅茶の信頼の証となったのです。
●「名言」迷言?
そしてリプトンさんは素晴らしい「名言」を残しています。
「紅茶園から直接ティーポットへ」、まさしくお母様からの「商品は直接生産者から買いなさい」という教訓を守り、更に自身の茶園を持ち紅茶の生産まで発展させる溢れ出るパワーに感服です。紅茶園からティーポットまで独自の流通経路を作り上げたリプトンさんは感無量だった事でしょう。
また、リプトンさんは素晴らしい「名言」迷言?も残しています。
生涯独身を通したリプトンさんに、ある人が結婚しない理由を尋ねた時、「紅茶の値段が、妻を養うにはあまりにも安すぎるから」と答えたそうです。
紅茶で大富豪になったリプトンさんの、あまりにもユーモアあふれるこの回答、良質のものをより早く、より安く提供したいという彼の商売に対するにじみ出る信念を感じます。
そうなんです、21世紀にも通じるリプトンさんの信念、「美味い」「早い」「安い」は、今も吉野家をはじめとするファーストフードにも受け継がれているんですね。
いや~本当に素晴らしい事だと思います!こんなことを書いていたら、吉野家の牛丼が食べたくなってきましたが、残念ながらスリランカに吉野家はなし..残念!😊
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7月10日 山倉 義典
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