Error: Contact form not found.

スリーエコ・ニュース (Srieko News)

Vol.116 – 日本の国民食「カレーライス」が出来るまで

October 1, 2021 at 6:53 am

 

皆さんこんにちは

 

日米豪印のクワッド首脳会談が先週行われました。日米豪は結束硬そうですが、アジア系のおおらかさと中東系の過激さの共存するインドは一筋縄では・・お隣のスリランカに住んでいる自分としては、政治、経済共にかなり癖のある国に感じます。ただし敵の敵は味方という事で、今後の進め方次第では、某国に対して強い包囲網が作られるかもしれません。期待したいところです。

ところで、インド・スリランカと言えばカレーの本家本元・・今回はカレーに関するお話です。

 

ラーメンと並び国民食と言われる日本の「カレーライス」・・玉ねぎ・人参・ジャガイモなど、カレー粉でクリーミーに煮込んだルーを、熱々のご飯にたっぷりかけて頂くと美味しいですよね。

一方、スリランカ風のカレーは、激辛カレー味のおかずを何種類もご飯に乗せ、混ぜ合わせながら頂く「ライス&カレー」と呼ばれていて、見た目も食感も違いますが、香辛料の鋭く効いたエスニック調「ライス&カレー」も、負けず劣らず病みつきになる美味しさです。

 

スリランカに住み始めた当初は、わざわざ日本からハウスバーモントカレーを持ち込み、「ランカのカレーはいまいち!」などと分かった事を言いながら、せっせと日本のカレーを作っていた自分も時が経ち、今では同じ店、同じメニューでもその都度味の変わる、結構いい加減なスリランカの「ライス&カレー」の虜になっています・・

 

とはいえ、スパイスと塩味たっぷりのカレーばかり頂いていると、たまには、日本のやさしい「バーモントカレー甘口」などを食べたくなるもの・・なんとか日本への買い出しに出かけたいのですが、この制約の多い世の中では、ままなりません・・そこで妻が考えてくれたのが、贔屓にしているカレー屋さんからお魚を煮こんだ激辛スープカレーを買ってきて、玉ねぎ・人参・ジャガイモ・トマトなどを炒め、そのスープカレーに追加のカレー粉とたっぷりの蜂蜜を入れて煮込む方法・・これが大当たり!

 

すこしトマトの酸味が加わり、自分好みの「バーモントカレー甘口級」の、日本庶民の代表格的な和風カレーに早変わり・・「な~んだそんな事」と思うかもしれませんが、これは自分にとって「コロンブスの卵級」の発見なのでした・・

まあ、よくよく考えれば、カレーの発祥地はインド、スリランカなどの南アジアで、日本のハウスやS&Bなどの食品メーカーは、この地域からカレー粉を輸入していると思えば納得な話・・そんなことを考えながら日本のカレーライスは、どの様に出来上がったのか・・興味があったので少し調べてみました。

 

1.ポルトガルがカレーをヨーロッパに

歴史書では、大航海時代の幕開けで、15世紀末1498年ポルトガル人のバスコ・ダ・ガマはインド航路(喜望峰周り)を発見、その後16世紀頭には、ゴア(インド1510年)、セイロン島(スリランカ1518年)、マラッカ(マレーシア1511年)を占領したポルトガルは、ジャワ・ボルネオなどの香辛料交易に関わり、また明との交易を開始し東アジアからヨーロッパに至る交易ルートを開拓、16世紀前半には首都リスボン港は東方貿易の荷揚げ港として繁栄したとあります・・また1543年には日本の種子島に鉄砲を伝えています。

 

この時代のポルトガル人のインド総督の侍医が書いた1563年「インド薬草、薬物対話集」という文献の中で「彼らは鶏肉や獣肉を入れたカリール(Caril)と呼ばれる料理を作る」と紹介されています。

またオランダでは1595年に「東方案内記」という文献が出版され、その中で「魚はスープで煮込み、米飯にかけて食べる。この煮込汁をカリール(caril)という。やや酸味があって、なかなかの美味、カリール料理はインド人の常食である。米飯はわれわれのパンに当たる。」と紹介されています。

 

16世紀・17世紀は航海に危険を伴い、香辛料がまだまだ高価だったことから、大航海時代を迎えているヨーロッパといえども、カレーはまだまだ庶民の料理ではなかったようです・・その当時日本は戦国時代、鉄砲と一緒にカレーも伝わって来たかどうか分かりませんが、新しもの好きの信長、秀吉だったら興味を示したかもしれません・・鎖国をした家康は多分、体を考え食べなかったんでしょうね😊

 

2.大英帝国の台頭でカレーは世界に広がる。

18世紀になりますとポルトガル、オランダに代わり大英帝国が台頭してきます。更に18世紀後半に起こった産業革命により、世界覇権は大英帝国へ移ります。

私の住んだ国がタイ以外は大英帝国の植民地(南アフリカ、スリランカ・シンガポール・マレーシア・香港)だったことからも、当時の大英帝国の栄華をうかがえますね。

世界の覇者として君臨する大英帝国は、国内においても産業革命による「大衆消費社会」を迎えます。そしてカレーは、時代の流れに乗って市民の食卓へと浸透していきます。

 

大英帝国の料理の本に始めてカレーが登場するのは1747年・・この料理本「The Art of Cookery Made Plain and Easy」では、「ペパー30粒、米大さじ1、コリアンダー適宜を炒ってからすりつぶして、肉にまぶし、水を加えて煮る」というスープやシチュー風のレシピが紹介されていて、タイトルは「To make a Currey the India way」となっています。

 

 

更に、東インド会社の駐在員であったウォーレン・ヘースティングズさんが、常々頂いていたインド料理で使われていた本場秘伝の混合スパイスと米を持ち帰ったのが1772年、その後大英帝国内ではカレーの人気が高まったわけですが、どうも毎回同じ味が出せないというシェフの不満を受け、いろいろな所で研究と試行錯誤がされたのでしょう・・遂に19世紀初めイギリス人の口に合った「C&Bカレーパウダー」なるインスタント物が商品開発され、販売が始まったのだそうです・・誰でも簡単に同じ味が出せる、当時は魔法の様な粉末だったのでしょう。

既にインド、セイロン(スリランカ)などの南アジアは、絶頂期を迎えた大英帝国の植民地でしたので、英国製「C&Bカレーパウダー」が南アジアの国々へ大量に逆流入した事は想像に難くありません・・そういう視点からすると、ひょっとしたら現代のインドやスリランカで頂いている「ライス&カレー」は、英国製「C&Bカレーパウダー」の味への影響が多分にあるのかもしれないと思うと、複雑な気持ちにもなります・・😊

 

3.カレーは大英帝国から日本へ

大英帝国が「C&Bカレーパウダー」を最初に発明したと述べましたが、日本にカレーが伝わったのは鎖国の終わりを告げようとしていた、幕末から維新の時期と言われています。

欧米列強の押し寄せる幕末の混乱期、政府のエリートたちは海外と交流を始め、競うように欧米諸国へ出ていきます。

この時代になって初めて一万円札でお世話になっている福沢諭吉先生が、「華英通語」という本で西洋料理としてカレーを紹介しています。

 

また、当時ヨーロッパに渡航する手段は船・・南航路を取りインド洋を通っていくわけですが、東西の中継地点としてスリランカのコロンボに立ち寄って、岩倉具視・大久保利通・木戸孝允・伊藤博文ら岩倉使節団、時を置いて夏目漱石、森鴎外などの著名な人々がスリランカのカレー料理を堪能したようです。

外国で目にする初めてのカレー料理・・政府のエリートたちは、頂いて何を感じたんででしょうね・・癖の強そうな人たちですから、かなり興味がありますね・・まあ『カレーだけに「辛れ~」』と下手な駄洒落を言った客人がまず一人はいたのでは・・とその光景を思浮かべながらニヤニヤしてしまいますが・・

並行して開港と同時に、英国製「C&Bカレーパウダー」は明治初期(1970年頃)に伝わってきます・・鎖国で閉塞感を感じていた民衆は、文明開化という新たな波に乗って新しいものをどんどん吸収していったわけです。

 

4.散切り頭を叩いてみると、和風カレーの音がする!

1871年(明治4年)にそれまで禁止されていた肉食が解禁されたことで、洋食専門店が続々と開業、「カレー」がメニューにのるようになると人気を博し、これにより国民のカレーへの関心は一気に高まり、全国へ広がっていったようです・・陸軍幼年学校においても、1873年に土曜日は「カレーの日」と定められていたことからも当時のブームが伝わってきますね。

 

更に1876年に開校した札幌農学校においては、「少年よ大志を抱けBoys be ambitious」の名言でおなじみのクラーク博士によって「少年よカレーを食べろ」と言ったかどうか分かりませんが、カレーを洋食とし、ジャガイモやパンと一緒に一日おきに食べることが実施されたと言われています・・

この説には諸説ありますが、当時の沢庵とご飯、味噌汁だけの日本人の食生活を見たクラーク博士が、栄養を付けることを最優先にカレーを推奨したのでしょう。

 

5.庶民の味「日本のカレーライス」はS&B食品が火付け役!?

やがて洋食屋さんで全国へ広がっていったカレーは、1923年(大正末期)S&B食品から「純国産カレーパウダー」が発売される事で、洋食から庶民の味「日本のカレーライス」へと徐々に変化していきます・・この辺から昭和育ちの自分なんかは親近感を感じてきます・・子供の頃、母親にS&Bの赤缶カレー粉を使ったカレーチャーハンを良く作ってもらったものです・・もちろん大人になっても色々な料理の調味料としてお世話になりました。

時を経て1954年、これもS&B食品からカレーの「ルー」が発売され、だれでも簡単に美味しいカレーが直ぐに作れるようになり、そして子供からご老人まで楽しめる国民食「日本のカレーライス」となったようです。

 

小学生だった頃、給食の小麦粉たっぷりのカレーが大好きでした・・そして時は流れ、今はカレーの本場スリランカに住んでエスニックな「スリランカ・ライス&カレー」を楽しんでいます・・機会があり、今回カレーの歴史を勉強して、カレーの本場スリランカの友人に、例の妻のレシピで日本風に仕上げた「和風カレーライス」を一度振舞ってみたいと思っています。

欧州人には人気でしたが、欧州をめぐり日本に入って和風化されたカレーに、スリランカ人はどういうリアクションをするか楽しみです・・反応が良ければ店でも開きましょうか!?😊

 

 

6.あとがき

この日本の国民食「カレーライス」が出来るまでを執筆する事で、次の事が大きな変化点となったのだなと思います。

 

 

●大航海時代の始まり・・食は文化、そして文化は人を通して交流してこそ新たな優れた文化(East meet West) が生まれる事

●大英帝国の作った「C&Bカレーパウダー」によるインスタント化、スタンダード化

●大英帝国の一般家庭料理に合ったカレー料理のスープ風・シチュー風への変化

●S&B食品の作った「純国産カレーパウダー」と「カレーのルー」による、日本の風土に合った和風への特化

●そして「美味い!」「早い!」「安い!」の追求

 

異文化交流、標準化、特化、そして「美味い!」「早い!」「安い!」・・これは食べ物だけではなく、我々の仕事にも通じる真理ではないでしょうか。

「美味い!」「早い!」「安い!」などといっていたら、カレーライスではなく、条件反射のように吉野家の特盛を頂きたくなってきました・・でも残念ながらスリランカには無いんですよね・・本当に残念。

 

#参考にした資料

●ハウス食品サイト

●SB食品サイト

●農林水産省サイト

2021年10月1日 山倉義典

 

🐵Sriekoニュースレター・アーカイブ

 

安全に旅してこそ楽しいご旅行 by Srieko Holidays

 

 

|
お問い合わせ