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スリーエコ・ニュース (Srieko News)

Vol.100-前編 ジェームス・テーラーとトーマス・リプトンの紅茶

July 10, 2020 at 10:04 am

 

皆様、こんにちは。

 

コロナ・パンデミックにより、世界中が混乱して経済活動に大きな影響が出ておりますが、皆様お元気にお過ごしでしょうか。

 

スリランカは、3月20日から続いていた外出禁止令が6月下旬に完全解除され、経済再開と8月1日より旅行者受け入れ開始、8月5日の国政選挙に向け徐々に動き始めています。

ただし今も、スリランカ人帰国希望者が多く、6月7月とチャーター便にて帰国した者の中には感染者が少なからずいるため、政府の施設やホテルで厳重な隔離対策(2週間隔離+2週間自主隔離の計4週間)が行われていることから、今後旅行者の安全確保にはまだまだ時間がかかりそうな状態、8月1日受け入れ開始は、9月まで延期される可能性が大きくなっています。

 

さて今回は、記念すべき創刊100号という事で、話題は何にしようかと考えたところ、コロナで外出は必要時以外出来るだけ控え、家にいる時間が多くなっている昨今のご時世...きっとご自宅で紅茶を楽しまれている方も多いだろうと勝手に思い、セイロン紅茶のお話を!

 

ジェームス・テーラー

 

ジェームス・テーラーと言えば、スリランカ好きの皆さんはともかく、「誰、その人?」と思われる方は多いのではないかと思います。実は私もそうで、せいぜいスリランカで紅茶を作り始めた人くらいの印象だったのですが、調べてみるとなかなか頑張った人物なのです。

簡単に略歴を追えば、1835年スコットランドの北部の小さな村に生まれ、父は車大工、母は彼が9歳の時に亡くなり、6人兄弟は新しい母を迎えました。

幼いころから頭が良く14歳にして既に学校の補助教員として教えて給料をもらっていたという秀才、さぞかし将来を嘱望された少年時代だったのでしょう。

ところが、何を思ったかテーラーさん、1852年の17歳の時、突然従兄弟の誘いに乗り他のスコットランド人十数名とセイロン島に渡ります。そして当時は高原地帯でコーヒー栽培全盛期のコーヒー農園で働き始めるわけです。

このテーラーさん、植物栽培にも才能が有ったらしく、テーラーさんにかかればコーヒーの苗も瞬く間に成長したとの事、農園主はテーラーさんを雇って本当に良かったと思っていたんでしょうね~~しかし、仕事というのは「一寸先は闇」と申しましょうか、1867年、テラーさん32歳の時、コーヒー園に錆病が蔓延して他の農園同様にコーヒー園は全滅状態となります。

手塩にかけたコーヒー園の枯れはてた光景を見たテーラーさんは、何を思った事でしょう。15年間丹精込めて育ててきたコーヒー畑を失った失望感は、計り知れないものだったのでは。..

 

 

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

しかしここであきらめないのが凡人と違うところ!逆境にもめげず今度はお茶の栽培を始めます。植物栽培には自信がったんでしょうね!

当時キャンディ郊外のペラデニア植物園では、インドのアッサム地方からのお茶の木が栽培されており、そこから農園主のつてで苗木を手に入れたとの説と、インドアッサム地方から直接苗を手に入れたという説の二説ありますが、いずれにしても、農園主の依頼でキャンディ東部のルーラ・コンデラという山岳地帯を開墾しながら、当時セイロン島ではまだ大規模な栽培方法が確立されていなかったお茶のプランテーションに取り組んだのです。

ブルドーザーなど勿論ありません、今のようにガガガーと一気に整地できれば楽なんでしょうが、当時はそうはいきません。ゾウさんと人手を使って、土を掘り起こすことから始めたわけですから、さぞかしご苦労な事だったと思います。

苦労のかいあり間もなく、テーラーさんの開墾した農園にはお茶の苗木が根付き、茶園は一面に広がっていきました。

更にこのテーラーさん、茶の栽培だけでは飽き足らず、紅茶も製造してしまえ!という事で、インド・ダージリンで紅茶の製法を学びます。

紅茶の味わいを決めるのは、茶葉の質(どの葉を摘むか)と発酵を促す揉捻(どのように茶葉を揉むか)と言われており、当時英国で好まれていた濃厚で味も香りが強く、色の濃い発酵の強い紅茶をバランスよく効率的に製造するにはどうしたらよいか、テーラーさんは独自の経験と工夫を凝らし様々な実験と改良を重ねたのでした。

こうして完成したテーラーさんの紅茶は、良質で美味しいと評判を得て、ロンドン市場で中国からの紅茶、アッサム地方の紅茶と並んで、めでたく高値で取引されることとなったのです。

 

ちょっと変わり者

セイロン紅茶造りに、四半世紀を捧げたこのテーラーさん、身長180センチ、体重100キロの巨漢だったようです。小柄なスリランカ人の中では、当時ガリバーのような大きな人で、人柄は大らか、紅茶の栽培と製造をしながら地元の人と親密に和気あいあいと生活をしていたんだろうな~と勝手に思い込んでいましたが、実はちょっと変わり者だったようです。

セイロン島に来てからは一度も母国スコットランドに帰らず、セイロン在住のスコットランド人の会合には一度として参加したことはなく、はたまたセイロン農園主からのセイロン紅茶への功労賞授与パーティーですら断っています。

人と会い、話をして過ごすのが苦手だったのでしょうかね~ただただ、静かにルーラ・コンデラの茶園の小屋に住み続け、一生独身を通し、1892年52歳でその生涯を閉じています。

 

考えてみれば、テーラーさんにとって紅茶園を開墾したルーラ・コンデラが父母であり、見渡す限りの紅茶園が妻であり、そして出来上がった良質で美味しい紅茶が娘だったのかもしれませんね。

 

いや、今スリランカで一杯の紅茶を飲んでいると、テーラーさんが近くで「どうだい、俺の造った紅茶は?」と話しかけてくるようです。本当に美味しんです!

 

 

Vol.100-後編のトーマス・リプトンへ続く 👉

 

 

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7月10日 山倉 義典

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