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Vol 12 – ジャングルの王者!in Sri Lanka  その1

皆様

日本は美しい紅葉の時期が近づいてきましたね。こちらスリランカは南国。季節に多少の変化はあっても、ダイナミックな移り変わりとはいきません。
その分、自然を常に身近に感じるスリランカの生活。今回はその細部をご紹介しましょう。
題して“外国人からみた、ジャングルの生活”です。
私の自宅は、空港に近いスリランカのビーチ・リゾート地、ニゴンボ(Negombo)という街から、内陸に4~5キロ前後行ったところ。片言の英語も話せない人がほとんどの、ローカル色の強いところです。
本来、会社があるニゴンボに家を探すつもりでしたが、(妻ではなく)自然をこよなく愛してやまない夫に「俺はこういうココナッツ・ジャングルに住みたかったんだ。少々不便だけれど、頼むからさあ~・・」と懇願され、住人になり、はや半年以上が経ちました。
スリランカの人たちからは「あなたの所は電気も通っている。“都会のニゴンボ”まで、バイクやトクトク(三輪自動車)でたいした距離ではない。なぜ、ジャングルと言えるのか?本来のジャングルとは・・」と批判が飛び出しそうですが、どうしてどうして。
ニゴンボに通じるメイン道路はもちろん、家の周りには放牧用の牛や羊がウロウロ。のんびり、草をはべっているだけなら可愛いものですが、時々、家の前に、大きな落し物を残していきます。(アジアではなく)アフリカン流に、隣の空き地に牛糞壁の家でも作ろうかと思うぐらい、大層な量です。
地元の人たちは、この落し物を庭にまいて肥料とします。我が家の大家さんも、外国人が借りているからと、心配してときたま見に来てくれるにはありがたいのですが、道すがら拾ってくるのか、この“100%天然物”を庭に残していくのです。良かれと思ってしてくれていることにやめてくれ、とも言えない日々。
「ここはジャングルの生活だから、仕方ないわよね・・」これが夫との口癖。
上からも落し物があります。マレーシアなど他の南アジアにも生息するゲコ(日本のヤモリ)が、毎晩のように我が家を、我が物顔で散々暴れ回り(特に天井に近い高い場所)揚句に、ぽたぽた鳥の糞まがいのものを残していきます。
一方、ジャングルの生活では、こうした困った子ばかりではなく、楽しい生き物もいます。
時たま、ホタルが“甘い水”があると思っているのか、家の中に迷い込んできます。
先日は、庭に“ピーター・ラビット”が現れました。もちろん野生です。
リス達も楽しそうに追いかけっこをして遊んでいます。
読者の皆さんは、リスの鳴き声をご存知ですか?
「キキキキ・・・」と、高いソプラノです。こちらに住み始めたばかりの頃、朝の6時過ぎにいつも、この声で起こされるので「鳥だろうか?それとも、庭のあの子かしら?」と、ある日ジャングルの生き物の誰よりも?早起きし、注意深く観察したところ判明しました。
ネズミのようにいつも動き回っているリス達も、ふっと、動きにストップがかかる時があります。その際、体を小刻みに震わせ、「キキキキ」と歌いだすのです。
「ああ、こんどから目覚まし時計代わりに、この“キキちゃん”に起こしてもらおう。せっかくジャングルに住んでいるのだから・・」と思っていたのに、動物は気まぐれなのか、それとも(雨など)天気のせいか、毎日がソプラノ歌手の出演日ではないらしく、天然時計は鳴らず、あわや寝坊に・・。しまいかけた時計を引っ張り出す羽目になりました。
このキキちゃんが思いもかけない落し物をしていったのは、それから数か月経ってからのことです。続きは次号で。

Vol 11 – なるほど!ザ、スリランカん気質 その2

皆様

日本は10月に入り、秋たけなわと言ったところでしょうか。
今日は秋風を感じながらの読書の代わりに「教育と教養について」をご一緒に少しだけ、思考・考察して頂きましょう。(前回の続き)
「教育はあるが、教養のないスリランカ人」と、日本に帰化されたA氏は定義されました。
教養とは(いろいろな解釈の仕方があるでしょうが)一般に、基礎学問プラス、学者などその道のプロとまではいかないところで、様々な分野の、様々な知識を持つことを言葉の意味として使っているのではないでしょうか。
確かに教養があるということは、さまざまな“判断の引き出し”がその人に備わっていて、「皆がそうしているから私も・・」ではなく、「この場でもしこんな対応を取れば、人の迷惑になるだろう・・」とか「今こうした行動に出れば、将来きっとよい結果をおよぼすだろう・・」とか、とっさの、かつ先を見据えた独自の判断がとれるということでしょう。
ただ私は、ポイ捨てが当たり前であるとか、車の運転のマナーが悪いなどいうことは、教養以前の問題であるように思います。
「子供は親の真似をする」のは確か。しかし、親の世代も教育だけはある程度以上受けているのがスリランカ。
となるとこの場合、教育を土台として、さらにその上に乗るものは、教養というより道徳(モラル)でないかと思います。
道徳は、仏教、キリスト教、イスラム教など、それぞれの宗教教育の元でも教えているのでしょうが、結局は身についていないため、夫や私、他の外国人のストレスへと派生していきます。
ではどうして、スリランカ人に道徳は身につかないのか?
ここで前述のA氏のお話にあった、もう一つの言葉が解決の糸口になりそうに思います。
「スリランカは英国の植民地であった国。植民地政策がどういうことであったかというと、つまりは一致団結するということを極力避けたのです。国民が団結すれば、大きな力となり、英国にとって大変なことになったでしょう。ですから、スリランカ人は日本人のように、力を合わせて何かをするという概念がないのです・・」
仕事より、家族が大切なスリランカ人。家族を気遣っても、一方、他人のことは構わない。
もしかして、西側の個人主義の考えが、アジア人であるスリランカ人に、サイズもセンスも合わない洋服をあてがわれたように、ゆがんだ形でなじんでいったのかもしれません。
加えて、国民性ということも考慮に入れるべきでしょう。
スリランカの多数派・シンハラ人は、キャンディー(Kandy)という比較的、気候温暖な山の手で、キャンデイー王朝のもとで生きてきた末裔たち。よく、インド人と比較され“あまりにのんびりしていて、やる気のない国民“と評されていますが、敵の侵略に怯えることなく、たわわに実る果物のおかげで飢えを感じることもなく、生きてきた人々。
この国民性と、英国植民地政策を持ってすれば、今回の考察と思考は、教養という言葉を持ち出すより、納得がいく気がします。
さて、植民地とは無縁の読者の皆さんは、教育を、教養を、国民性をどのように解釈されるのでしょうか。

Vol 10 – なるほど!ザ、スリランカン気質 その1

皆様

暑さ寒さも彼岸まで、日本はしのぎやすい季節を迎えたのではないでしょうか。
物思う秋に向けて、今日は少し哲学的なお話をしようと思います。
タイトルは、ショーペンハウエル風に「教育と教養について」とでも題しておきましょう。
こちらスリランカはまだ内戦が続いていた頃から、西側では、最貧国の割には識字率の高い国として知られていました。教育熱がとても高く、裕福な家庭ではイギリスやオーストラリアなどの大学に子息を留学させ、経済的に苦しい層でも、かなり無理をして、子供を私立のよい学校に通わせたがります。
その上、日曜日を中心に仏教徒、キリスト教徒など、それぞれの宗教に合わせて“日曜学校”があり「スリランカの子供も大変だなあ・・」と、同情心さえ生まれます。
ところが、(イギリスの植民地だったことで)英国紳士流で国が動いていると思われがちですが、マナーの悪さにおいては「世界でトップクラスではないか」と思えるほどです。羅列したら、この紙面では足りなくなってしまうことでしょう。
一例をあげれば、ポイ捨ては当たり前。時間のルーズさにかけては天下一品。すっぽかしも平気、遅れてきても言い訳ばかり。その上、相手を待たせるのは平気でも、自分が待つのは絶対に嫌!
車にいたっては“自殺行為”としか思えない運転マナー。「スリランカはイギリスから導入した運転免許システムで、世界的にもステイタスがあると聞いていたのに・・。無免許か、もぐりで免許を取ったとしか思えない・・」とは、車を運転するたびに「バカヤロー!!」を連発している夫の弁。
マナーばかりでなく「宗教心が強く、心優しい」と言われているスリランカ人の、外国人投資家を巻き込んでの詐欺事件が後を絶ちません。
時たま、暗い気持ちになって、夫と私が話すのは「結局、自分さえよければいいのだ。まったく日曜学校では何を教えているのだろう、教育レベルの高い人たちなのに、なぜ?」という怒りのこもった疑問でした。
スリランカに長い日本の方々とお話しする機会があるときに、この内容をぶつけるのですが、スリランカ人に対しての批判的な話が返ってくるだけで、質問に対する納得のいく答えに辿りついたことはありませんでした。
それが先日、日本に帰化されたスリランカ人のA氏とお目にかかった時、私の心のもやもやが少し晴れた気分でした。
「スリランカの人々は教育レベルが高くても、残念ながら教養がないのです。教育と教養は別物。あなたが感じる怒りと疑問は、そこから生じているものです・・」と、A氏はおっしゃいました。
さらに「日曜学校で道徳を教えても、たとえば家に帰って親がポイ捨てをしている以上、よくならないのです。子供は親の真似をします。」と、続けられました。
でも、この国では親の世代も(多くは貧しい家庭ながらも)それなりの教育を受けてきている人たち。どうして“悪の連鎖”は続くのか?私の哲学的思考は、結論には至りません。

続きは次号で。

Vol 09 – 新茶の季節到来!スリランカ紅茶に隠された真実と秘密。

皆様

日本は9月、読書の秋を迎えましたね。
お気に入りのマグカップ片手に、読みかけの本に夢中になり、ついつい夜更かしをしてしまった・・、そんな日もあるのではないでしょうか。
さて、今日はマグカップの中身のお話をしましょう。
コーヒー党、紅茶党と分かれるところですが、ここは世界的に有名なセイロンティーの国なので、もちろん紅茶にまつわるお話です。
紅茶の採れる国・マレーシア、南アフリカ、タンザニアでも、おいしいものを探したことがありましたが、お世辞抜きに、セイロンティーほど「これだ!!」と思える紅茶に出会ったことはありません。
紅茶の原産国であるため、今まで、紅茶とカレーパウダーだけは、「本当に安いなあ・・」という実感があったのですが、最近、物価上昇を受け、そうした庶民必須の品も値上がっています。
一方で、国が豊かになってきていることを反映してか、今までは見かけなかった「Xブランドのゴールドタイプ」といった、一つ上の商品が出回るようになってきました。
私個人としては、初めてスリランカを訪れた10年以上前から、イギリスのリプトン社が出している屑茶がお気に入りでした。“価格は控えめでも、ブランド名に恥じない味と香り”
と、キャッチ・コピーをつけたいぐらいのものでした。
しかし、この商品はリプトン社から別会社へと移行し、商品名ばかりでなく、価格も変化。世界展開していて、高級ブランドとして扱われているオーストラリアのD社が出している商品より割高感があり、手にすることは少なくなりました。
今お気に入りなのは、スリランカで一番気候がよいとされるバンダラウェラ(Bandarawela)いう街に会社があるM社のもの。価格を裏切らない、上質な茶葉である上、海外展開はしていないのか、(たぶん)スリランカだけでしか買えないところも、購買力をそそります。
「(英語など書いていない)ローカル向けの最低価格の品も、淹れ方のよってはおいしいかもしれない・・」と、化学実験の感覚で、何度も試してみましたが、まるで薬草を飲んでいるかのように、私の腕では、うまく抽出することはできませんでした。
一方、“私のプレミアム・紅茶体験“と言えるのが、政府関係の偉い方のオフィスを訪ねた時のことです。
緊張しながら、面会の時間を待っている間、出して頂いたもので、渋みがなく、色はとても薄いきれいな金色で、香りがしっかりある、というものでした。
以前、作家の故人・開高健氏が随筆で「スリランカの最高級の紅茶を飲む機会があった。一般には出回らず、中東の金持ちに、精力剤として回っているらしい。それは水のように薄い・・・」といった内容のことを書いていらしたのを思い出しました。
スリランカで、あなたもお気に入りのブランドを、もしくは、まぼろしの紅茶を探してみてはいかがでしょうか。

Vol – 08 変化しているスリランカの町並み、その理由とは!?

皆様

8月ももうすぐ終わり。日本はこおろぎの音が美しい季節へと変わっていくのですね。
こちらスリランカは南国。年中暑い国で季節の変化はほとんどありませんが、その分(?)内戦が終結してからの人と街の変化には目を見張るものがあります。
先日も、コロンボ(Colombo : 商業の中心)在住の、経済関係の仕事で駐在している日本人が「最近のスリランカの変わりようはすごいですね。コロンボ郊外に、どんどんスーパーマーケットを建設している。おしゃれなブティクも目立つようになってきた。
レストランに行けば、今までたいして客がいなかったのに、最近は違う。店の人間は客が多いことに慣れていないから、その分サービスが悪くなっちゃって困ったものですね。」と、もらしていらっしゃいました。
コロンボはもともと富裕層の多い街ですが、私の住んでいる、空港にほど近い街ここニゴンボ(Negombo)でも、その変化は目に見えて感じます。(前号の続き)
ではどうして、スリランカ人の財布が膨れてきたのでしょうか?
発展途上国にありがちな、選挙など政治絡みで金がまかれることもあるでしょう。
こうしたことは、国が安定していく過程での“必要悪”として、脇へ置いておくとして、まず考えられることが、土地の価格(地価)の高騰にあります。
内戦が終わる前と後とでは一桁!土地の値段が変わってきているのですから、当然、土地成金も多いはずです。
こちらに長くいらっしゃる日本人男性が「相棒のスリランカ人に、新しいビジネスを一緒にやろうともちかけたら、親からもらった土地を今売れば、一生左うちわで暮らせる、と返す。若いのに、いい意味での野心が全くない・・」と、ぼやいていらっしゃいました。
夫は、店や会社を持っている個人事業主が好景気をリードしている、とみています。
確かに、サラリーマンは物価が上がってもサラリーが上がらず、四苦八苦しているようですが、国が発展・安定していく上で、建設資材をはじめとする、さまざまな需要が増え、それと共に、相乗的に購買力も増え、店や会社の利益も上がるという、よい循環機能が働くことになります。
さらに、もう一つ!!
こちらでは“スリランカ人向け特別価格”が存在します。博物館など公共機関や星の数の多いホテルなどで、料金が外国人や旅行者より安くなる場合が多いのです。
その上、高級レストランになればなるほど「XX銀行のカードで支払えば、15%の割引・・」と言ったたぐいの割引があります。
「いくら使うと、ポイント何点・・」などの、日本のちまちましたサービスが悲しく思えてくるほど「消費するほどには、懐は痛まず・・」と言ったサイクルが成り立つのです。
先日も、初めてスリランカを訪れたという日本の青年が「スリランカ人の友人から聞いていたのと、かなり違います。物価も思ったより高く、それでもホテルや高級レストランなど、金持ちで賑わっているのですねえ・・」と、話していました。
少し前まで「最貧国の一つ」と言われた国が変わっていく様。内戦の前の1960年代には、シンガポールよりGDPが上だったと言われた国が、今後どう変貌していくのか?
私の人生で深く関わることになったスリランカという国を、冷静な目で追っていきたいと思います。

Vol 07 – 世界の最貧国スりランカも徐々に景気回復!?

皆様

もうすぐお盆。休みの少ない日本にも、短い短いホリデーがようやく訪れましたね。
スリランカも、スクールホリデーの季節。ここニゴンボ(Negombo)のリゾートホテルにも週末を中心に、ヨーロッパからの白人宿泊者にまざって、ローカルのゲストの姿がけっこう見受けられます。
最初は「インドからの旅行者かな?もしくは、ヨーロッパに移住したスリランカ人が夏休みで戻ってきて、ホテルライフを楽しんでいるのだろう・・」と思っていましたが、駐車場に止まっている車の数や、ゲストとのちょっとした会話から、コロンボ(Colombo商業の中心)を中心とした富裕層が、ラグジュアリーなホテルでの宿泊を楽しんでいるのだとわかってきました。
数年前までは、リゾートホテルにローカルの客の姿を見かけることなど、ほとんどなかったものです。
もちろん、こうした人たちはまだまだスリランカでは少数派でしょうが、世界の不景気をよそに、スリランカは“密かな好景気”といった雰囲気が漂っています。
今まで(内戦中)が“世界の最貧国の一つ“に数えられていた国なので、景気がよいといっても可愛いもの。それとわかるほどに派手さはないので”つつましやかな好景気“という表現の方が合っているかもしれません。
ジャングルに囲まれた空地は、最近、次々「sold!(売却済み)」の看板が建てられるようになってきました。
数年前から、カジュアルなウェスタン・スタイルの洋服が手頃な価格で買えるようになり、サリーを来ている女性など、ほんのわずか。低価格でファッショナブルを売りとする衣料品店は、客であふれています。
さらに、(スリランカ流?)好景気を裏付けていると思えることが、私と夫が通うヘアサロンで見て取れます。そこは、1年ほど前オープンした、コロンボにあるヘアサロンの支店です。男性と女性のセクションがあります。
待合室は男性の部門にあるので、順番を待つ間、自ずと男性客の姿が目に入ってきます。
そこでなされていることは? 
日本のバーバー(散髪屋)を連想するあなたはかなりのお年?!
散髪はもちろんですが、それが終わるとヘアカラー、もしくはフェイシャル・トリートメント!!気持ちよさそうに、トリートメントを受けている男性客の姿に、私は夫に「あなたも試してみたら?」と勧めてみましたが、夫はその金額に躊躇し、まだ未体験です。
雑誌に載ったのか、口コミなのか、このフェイシャルのサービスは人気らしく、先日は順番待ちの若い男の子たちが楽しそうに待合室を独占し、裕福になってきたスリランカ人の美へのこだわり?がひしひしと伝わってきたものです。
女性のコーナーでは、若い女の子に産毛そりが人気!美容師が口で糸の端を加えながら、器用に、あっという間に産毛を剃ってしまいます。
余談ですが「中国人にも広まればいいのになあ。香港の女性は、鼻の下、黒々していたからなあ・・・」とは、夫の弁。
さて、私のまわりのスリランカ人を見ると、別に給料が上がっている様子もなく、代わりに物価だけが上がり、世界共通、庶民の苦渋をなめている様子。
では、どうして富裕層が増えているのか、夫と私は分析してみました。
結果は次号で。

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